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ハッジの意味とその法的位置づけ、及びその徳 (日本語)

準備: ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー

Description

イスラームにおける義務の1つであるハッジについて、その意味や徳、法的位置づけについて簡単にご紹介します。

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    ハッジの意味とその法的位置づけ、及びその徳

    ] 日本語 [

    معنى الحج وحكمه وفضله

    [اللغة اليابانية ]

    ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー

    محمد بن إبراهيم التويجري

    翻訳者: サイード佐藤

    ترجمة: سعيد ساتو

    校閲者: ファーティマ佐藤

    مراجعة: فاطمة ساتو

    海外ダアワ啓発援助オフィス組織(リヤド市ラブワ地区)

    المكتب التعاوني للدعوة وتوعية الجاليات بالربوة بمدينة الرياض

    1429 – 2008

    6-ハッジ(大巡礼)とウムラ(小巡礼)の章

    ①ハッジの意味とその法的位置づけ、及びその徳

    ● ハッジとは:ハッジの諸行を遂行するべく特定の時期にマッカを目指すことにより、偉大かつ荘厳なるアッラーを崇拝することです。

    ● 偉大かつ荘厳なるアッラーは聖なる館(カアバ神殿)を偉大なものとし、ハラーム・モスクをその保護区としました。そしてマッカをハラーム・モスクのそのまた保護区とし、更にはマッカ周辺の聖域をマッカの保護区とし、また更にはミーカート[1]をマッカ周辺の聖域の保護区とし、その上にアラビア半島をミーカートの保護区とされました。そしてこれら全てはかれの聖なる館を偉大かつ崇高な、尊いものとするためであったのです。至高のアッラーは仰られました:-人々の(崇拝行為の)ために設けられた最初の館こそは、祝福に溢れた万有への導きであるマッカのそれ(カアバ神殿)である。そこには数々の明白なみしるしがある。(その内の1つが)イブラーヒームの立ち所(である)。そこ(マッカの聖域)に入った者は安全なのだ。そしてそうすることが出来る人々には、その館を訪問するというアッラーへの義務がある。それを否定する者があっても、実にアッラーは何ものをも必要とされてはいないのだ。,(クルアーン3:96-97)

    ● ハッジの美点とその極意:

    1-ハッジはイスラームの同胞愛と、イスラームのウンマ(共同体)の体現です。そこにおいて人種や肌の色、言語や祖国、階級などの違いは溶解し、人間がアッラーのしもべたることと同胞愛の真実性が顕現します。ゆえに皆同じ出で立ちをし、同じ方向へと向かい、同じ1つの神を崇拝するのです。

    2-ハッジはそこにおいてムスリムが忍耐心を培う、鍛錬の場です。また人々はそこにおいて終末の日と、そこで起きる様々な恐ろしい出来事を想起しつつアッラーのしもべであることの悦びを味わい、主の偉大さと、全ての創造物がかれなしではいられないという事実を知るのです。

    3-ハッジはそこにおいて報奨を獲得し、過去に犯した罪を赦免される偉大な時節です。しもべはそこで主の御前にはべり、その唯一性を認め、自らの罪を省み、その主に対して義務を果たすことにおける自らの至らなさを知るのです。そしてハッジを終えると、母親から生まれた日のような無垢で清浄な状態に戻って自分の国に帰るのです。

    4-またハッジは預言者や使徒(彼らにアッラーのご満悦あれ)が置かれていた状況や、彼らのイバーダ(崇拝行為)、ダアワ(布教)、ジハード(奮闘)、高徳といった物事を想起させ、かつ家族や子供と離れ離れになることによって自らを堅固な者とします。

    5-またハッジは、そこにおいてムスリム同士が互いの状況や学識、貧富や宗教における敬虔さと正しさなどの差異を知ることの出来る、1つの秤でもあります。

    ● ハッジの法的位置づけ:

     ハッジはイスラームの5柱の内の5番目の柱であり、自由民で精神的に健常な成人ムスリムでそれが可能な者は、出来るだけ早い内にそれを一生に1度は行わなければなりません。

     ハッジはヒジュラ暦9年に義務付けられました。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がハッジを行ったのは1度だけで、それが「別れのハッジ」と呼ばれているものです。

     1-至高のアッラーは仰られました:-そしてそうすることが出来る人々には、その館(カアバ神殿)を訪問するアッラーへの義務がある。それを否定する者があっても、実にアッラーは何ものをも必要とされてはいないのだ。,(クルアーン3:97)

     2-イブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“イスラームは5つ(の基幹)の上に成り立っている:(それらとは)「アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー、ワ・アシュハド・アンナ・ムハンマダン・アブドゥフ・ワ・ラスールフ(私は、アッラーの他に真に崇拝すべきものはなく、ムハンマドがそのしもべであり使徒であることを証言する)」というシャハーダ(証言)と、サラー(礼拝)を行うこと、ザカー(浄財)を施すこと、ハッジ、そしてラマダーン月のサウム(斎戒)である。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[2]

    ● ハッジが遂行可能と見なされる者とは?

     身体的に健常かつ旅行可能で、ハッジに行って戻ってくるだけの余剰財産と移動手段を確保出来る者のことです。また借金や、自らとその扶養者のための法的支出の義務を果たし、かつ本来自らが必要としている物資以上のものを備えていなければなりません。

    ● ハッジが義務付けられる者:

     自らの財産と身体においてハッジを遂行することが可能な者には、自分でハッジを行うことが義務付けられます。またハッジを行うのに十分な財産はあるものの、身体的にハッジを遂行することが不可能な者は、誰かにその代行を依頼することが義務付けられます。また身体的には問題がなくとも十分な財産を有さない者には、ハッジは義務付けられません。そして同様に、経済的にも身体的にもハッジを遂行する能力のない者にはハッジが義務付けらることはありません。

    ● ハッジを遂行するのに十分な財産を持たない者は、ザカー(浄財)を受け取って、それをハッジの費用に当てることが許されます。というのもハッジは、至高のアッラーの道の1つであるからです。

    ● ハッジとウムラの徳:

     1-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、“最上の行いは何でしょうか?”と訊かれて、こう言いました:“アッラーとその使徒を信仰することである。”そして、“それではそれに次ぐものは何でしょうか?”と訊かれると、“アッラーの道におけるジハード(奮闘)である”と言いました。そして更に“それに次ぐものは何でしょうか?”と訊かれると、“正しく行われたハッジ[3]である”と言いました。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[4]

     2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこのように言うのを聞きました:“アッラーのみゆえにハッジを行い、そこにおいて淫らな言動や罪深い行いを犯さなかった者は、母親がその者を生んだ日(のような無垢な状態)に舞い戻るであろう。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[5]

     3-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「“ウムラを行った後でまたウムラを行えば、それはその間の(罪の)償いとなろう。そして正しく行われたハッジの報奨は、天国以外の何物でもない。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[6]

    ● ハッジの義務のある者で、その義務を果たすことなく他界した者は、その遺産から彼のためのハッジの代行費用を拠出します。

    ● マハラムの同伴なしに女性がハッジやウムラを行うことの法的見解:

     女性はその夫や、またいかなる状態においても婚姻が許されない関係にある父親や兄弟や息子などのマハラムの存在がなければ、ハッジの義務を課されません[7]。またマハラムが存在していても彼が彼女との同伴を拒むのであれば、やはりハッジの義務は課されません。マハラムの同行なしに女性がハッジすることは罪ですが、そのハッジ自体は有効と見なされます。

     女性はその年齢、他に女性の同伴者があるかどうか、また旅程の長短などを問わず、マハラムの同伴なしにはハッジ及びそれ以外のいかなる旅行にも出ることを禁じられています。それは預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の「女性はマハラムなしに旅行してはならない」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[8])という言葉から導き出される一般法則によっています。[9]

    ● ハッジの代行に関する法的見解:

     高齢や回復の見込みのない病、あるいは死などの理由によってハッジの義務を遂行できない、あるいは出来なかった者のハッジを代行する者は、わざわざその本人がハッジのための旅行を本来開始すべきだった地点から旅行を始める必要はなく、適当なミーカート[10]からイフラーム[11]に入ることが出来ます。またハッジを代行する者は、既に自らのハッジの義務を果たしていなければなりません。またハッジの代行を依頼した本人は、代理人がハッジの諸行を行っている間、イフラーム中に禁じられている諸事を犯さずにいる必要はありません。

     イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はアッ=ラウハー[12]でキャラバンと遭遇し、こう言いました:「“この民は何者か?”(すると彼らは)言いました:“ムスリムです。”(彼らは)言いました:“あなたは誰ですか?”(預言者は)言いました:“アッラーの使徒だ。”すると1人の女性が彼の方に幼子を差し出し、こう言いました:“アッラーの使徒よ、この子にもハッジは課せられているのですか?”(預言者は)言いました:“ああ。そして(そうすれば)あなたに報奨があろう。”」(ムスリムの伝承[13]

    ● 身体的にハッジの遂行が可能な者は、任意のハッジやウムラの代行を他人に依頼することが出来ます。その際代行者に報酬を与えても与えなくても、問題はありません。

    ● ハッジの途中で他界した者は、その者が完遂出来なかった残りのハッジの諸行を代行によって完遂する必要はありません。その者は審判の日、タルビヤ[14]を唱えながら復活します。また全くサラー(礼拝)をすることなく他界した者はムスリムとは見なされないため、その者のハッジやザカー(浄財)を代行することは許されません。

    ● 月経や産後の出血のある女性のイフラーム[15]の形:

    月経や産後の出血のある女性はグスル[16]をし、ハッジ、あるいはウムラのイフラームをして、そのままハッジの諸行を行うことが許されます。但しその場合タワーフ[17]だけは清浄な状態になるまで行うことが出来ないので、出血がなくなってからグスルをし、それからハッジの諸行を完遂してイフラームを解きます。一方ウムラのイフラームの場合は出血が終了してからグスルをし、それからウムラの諸行を行ってイフラームを解きます。

    ● ハッジとウムラを継続して多く行うことの徳:

    イブン・マスウード(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“ハッジとウムラを継続して多く行うのだ。それは丁度ふいごが鉄や金銀の不純物を吹き飛ばすように、貧しさと罪を追いやってくれよう。そして正しく行われたハッジの報奨は、天国以外の何物でもない。”」(アッ=ティルミズィーとアフマドの伝承[18]

    ● マッカを訪問した者が、ウムラのために一時的にマッカから出ることに関しての法的見解:

     ハッジ、あるいはウムラのためにマッカを訪れた者が、任意のウムラのために一時的にマッカの聖域外に出ることは忌避すべきことです。というのもそれはラマダーン月かどうかに関わらず、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)もその教友たち(彼らにアッラーのご満悦あれ)もしなかったことだからです。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がアーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)にウムラを行うためにマッカを一時的に出るように言ったのは決して命令ではなく、彼女の心情を配慮しての許可だったのです。ウムラのために一時的にマッカを出ることよりは、タワーフをする方が優れていると言えます。

     またアーイシャのようにタンイーム[19]からウムラするのは、彼女のように月経ゆえにハッジのウムラを完遂出来なかった者に限られたことです。それゆえ彼女と同様のことをするのは、男性は言うまでもなく、そのような状況にはなかった女性にもそもそも定められたことではないのです。

    ● 未成年者のハッジとウムラに関する法的見解:

     未成年者のハッジは義務ではありませんが、任意で行えば正しく有効なものと見なされます。分別がついている未成年者については成年男女と同様に巡礼の諸行を進めますが、まだそうではない子供に関してはその後見人が彼あるいは彼女のためにイフラームやタワーフ、サアイ、ジャマラートの投石などを代理して行います。しかしハッジかウムラかに関わらず、本人に出来ることは本人にやらせた方がより望ましいでしょう。また未成年は成人後、義務のハッジが新たに義務付けられます。

    ● 既にハッジをしたことのある未成年者や奴隷がそれぞれ成人したり、あるいは自由民になったりした場合、その時点で本来のハッジの義務が発生します。

    ● 未成年者のハッジは有効で、かつその引率者はそれによる報奨を得ます。

    イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「ある女性が彼の方に幼子を差し出し、こう言いました:“アッラーの使徒よ、この子にもハッジは課せられているのですか?”(預言者は)言いました:“ああ。そして(そうすれば)あなたに報奨があろう。”」(ムスリムの伝承[20]

    ● タウヒードの徒[21]でない者がモスクに入ることに関する法的見解:

    タウヒードの徒でない者がハラーム・モスクに入ることは許されません[22]。しかしそれ以外のモスクに関しては、それがイスラームの福利に叶うことであれば入ることを許されます。

    1-至高のアッラーはこう仰られました:-信仰する者たちよ、シルク[23]の徒は不浄である。それゆえ今年以降は彼らをハラーム・モスクに近付けてはならない。もしあなた方が困窮を恐れるのであっても[24]、アッラーがその恩恵でもってあなた方を豊かにしてくれよう。実にアッラーは全てをご存知になり、この上ない英知を備えられたお方である。,(クルアーン9:28)

    2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は(ある時)ナジュド地方に騎馬隊を派遣しました。彼らは、スマーマ・ブン・ウサールというバヌー・ハニーファ族の男を1人連れてやって来ました。彼らはその男をモスクの柱にくくりつけましたが、そこに預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がやって来て、こう言いました:“スマーマを自由にしてやりなさい。”それから彼(スマーマ)はモスク近くのナツメヤシの木のところまで行くと全身沐浴し、モスクに入ってこう言いました:“アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー、ワ・アシュハド・アンナ・ムハンマダン・ラスールッラー(私は、アッラーの他に真に崇拝すべきものはなく、ムハンマドがアッラーの使徒であることを証言する)。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[25]

    ● ハラム(聖域)の特質:

     マッカの聖域には、次に挙げるような特質があります:

     そこでのサラー(礼拝)の報奨は倍増し、またそこでの悪行による罪もまた倍増すること。

     非ムスリムが立ち入りを禁止されること。

     (報復ではなく自ら始める)戦いの禁止。

     そこでレモングラス以外の草木を刈ること[26]や、ある特定の害獣を除く全ての生き物の殺生の禁止。

     そこにおける拾得物について告示しなければならないこと。

     狩猟の禁止。

     そしてそこに、人々のために最初の館が建築されたこと。

    至高のアッラーは仰られました:-人々の(崇拝行為の)ために設けられた最初の館こそは、祝福に溢れた万有への導きであるマッカのそれ(カアバ神殿)である。そこには数々の明白なみしるしがある。(その内の1つが)イブラーヒームの立ち所(である)。そこ(マッカの聖域)に入った者は安全なのだ。そしてそうすることが出来る人々には、その館を訪問するアッラーへの義務がある。それを否定する者があっても、実にアッラーは何ものをも必要とされてはいないのだ。,(クルアーン3:96-97)

    [1] 訳者注:詳しくは「②ミーカート」の章を参照のこと。

    [2] サヒーフ・アル=ブハーリー(8)、サヒーフ・ムスリム(16)。文章はムスリムのもの。

    [3] 訳者注:原語では「ハッジ・マブルール」。この言葉には上記訳の他様々な解釈があり、「罪を犯すことなく完遂したハッジ」とか、「そこにおいて食を施し、挨拶を広めること」などといった解釈もあります。

    [4] サヒーフ・アル=ブハーリー(1519)、サヒーフ・ムスリム(83)。文章はアル=ブハーリーのもの。

    [5] サヒーフ・アル=ブハーリー(1521)、サヒーフ・ムスリム(1350)。文章はアル=ブハーリーのもの。

    [6] サヒーフ・アル=ブハーリー(1773)、サヒーフ・ムスリム(1349)。

    [7] 訳者注:シャーフィイー学派では、マハラムの同伴が得られない女性でも道中の安全が保障される同伴者がいればハッジが義務付けられるとされています。アル=アウザーイー、イブン・タイミーヤなども同様の見解を明らかにしています。

    [8] サヒーフ・アル=ブハーリー(1862)、サヒーフ・ムスリム(1341)。

    [9] 訳者注:シャーフィイー学派、及びマーリク学派の一部では、道中の安全が確保されていればマハラムなしでも女性の旅行は可能という説があります。

    [10] 訳者注:詳しくは「②ミーカート」の章を参照のこと。

    [11] 訳者注:「イフラーム」とはハッジにせよウムラにせよ、巡礼の儀の開始をニーヤ(意図)することです。

    [12] 訳者注:マッカとマディーナの間にある場所の名で、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)たちはヒジュラ暦11年ハッジのためにここを通りかかりました。

    [13] サヒーフ・ムスリム(1336)。

    [14] 訳者注:詳しくは「③イフラーム」の章を参照のこと。

    [15] 訳者注:「イフラーム」とはハッジにせよウムラにせよ、巡礼の儀の開始をニーヤ(意図)することです。

    [16] 訳者注:心身の清浄化を意図した全身の洗浄。

    [17] 訳者注:「タワーフ」は巡礼(ハッジとウムラ)の諸義務行為の内の1つ。アッラーを崇拝するためにカアバ神殿の周囲を7回逆時計回りに廻ります。

    [18] 良好な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(810)、ムスナド・アフマド(3669)。文章はアッ=ティルミズィーのもの。

    [19] 訳者注:「タンイーム」とはマッカ北部の聖域境にある地名のことです。マッカ中心部からは約7キロ離れています。

    [20] サヒーフ・ムスリム(1336)。

    [21] 訳者注:詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章の「タウヒード」の項を参照のこと。

    [22] 訳者注:そもそも聖域自体ムスリム以外は入れません。

    [23] 訳者注:詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章のシルクの項を参照のこと。

    [24] 訳者注:ハッジとウムラはイスラーム以前にも存在していましたが、マッカのシルクの徒は特にハッジの時期においてマッカの物質的繁栄と興隆に大きく貢献していました。それゆえアッラーからこの命令が下った時に、ある者たちはその繁栄が消失してしまうことを恐れましたが、そのような誤った考えに対してこの句が下ったとされます(アッ=シャウカーニー著クルアーン解釈「ファトゥフ・アル=カディール」より)。

    [25] サヒーフ・アル=ブハーリー(462)、サヒーフ・ムスリム(1764)。文章はアル=ブハーリーのもの。

    [26] 訳者注:栽培用に人為で植えた物は除外されます。

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