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ハッジの形 (日本語)

準備: ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー

Description

大巡礼ハッジの行い方について詳しく見ていきましょう。

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    ハッジの形

    ] 日本語 [

    صفة الحج

    [اللغة اليابانية ]

    ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー

    محمد بن إبراهيم التويجري

    翻訳者: サイード佐藤

    ترجمة: سعيد ساتو

    校閲者: ファーティマ佐藤

    مراجعة: فاطمة ساتو

    海外ダアワ啓発援助オフィス組織(リヤド市ラブワ地区)

    المكتب التعاوني للدعوة وتوعية الجاليات بالربوة بمدينة الرياض

    1429 – 2008

    ⑧ハッジの形

     ここではアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が私たちに明らかにし、そしてその教友(彼らにアッラーのご満悦あれ)に命じたところのハッジについて説明します。

    ● マッカに滞在中の者、あるいはマッカ居住者は、タルウィヤの日[1]‐ズー・アル=ヒッジャ月[2]の8日‐の正午前にグスル[3]し、体をきれいにし、香水をつけてからハッジのためのイフラーム[4]に入ることがスンナ[5]です。イフラームに入るのは居住している、あるいは滞在しているその場所からで、その際には「ハッジのためにあなたの御許に馳せ参じます」と唱えます。一方キラーン(ハッジとウムラを同時進行する巡礼形式)かイフラード(ハッジのみを行う巡礼形式)を行おうとする場合は、イードの日‐ズー・アル=ヒッジャ月の10日‐にアル=アカバのジャムラ[6]の投石をするまでイフラームの状態のままでいることになります。

    ● ハッジに臨む者はその日の正午前、タルビヤ[7]を唱えつつミナー[8]に向かいます。そしてそこで、ズフル(正午過ぎの礼拝)とアスル(午後遅くの礼拝)とマグリブ(日没後の礼拝)とイシャー(夜の礼拝)とファジュル(夜明け前の礼拝)を短縮の形[9]で、まとめずに[10]集団で行います。そしてその晩はミナーで過ごします。

    ● ズー・アル=ヒッジャ月9日‐アラファ[11]の日‐の朝を迎えたら、タルビヤやタクビール[12]を唱えつつミナーからアラファへと向かいます。そして正午まで、アラファの領域に入る手前の場所に位置するナミラ[13]に留まります。

    ● アラファの台地の区域:

    東部は、アラファを見下ろしてその台地を囲む形で連なる山々までで、西部はウラナ峡谷の手前までです。北部はウラナ峡谷とワスィーク峡谷の合流地点、そして南部はナミラ・モスクから南に約1.5kmの地点までとされます。

    ● そして正午過ぎたら、アラファへと向かいます。ウラナ峡谷の中ほどの場所にあるナミラ・モスクでイマームが説教しますが、それが終わるとズフル(正午過ぎの礼拝)のアザーン(礼拝時間に入ったことを告げる呼びかけ)[14]がなされます。それからイカーマ(礼拝開始の合図)が告げられ、イマームによってズフルとアスル(午後遅くの礼拝)が各々2ラクアに短縮され、まとめられた形で率いられます[15]。その際1度のアザーンと、2度のイカーマによって2つの礼拝が行われる形となります。尚、もしイマームと共にナミラ・モスクで礼拝するのが困難な場合は、滞在している場所で同行者と共に2つの礼拝を前述したような短縮・まとめた形で行います。

    ● 礼拝が終わったらラフマ山の麓を目指してアラファの台地へと向かい、ラフマ山が自分とキブラ(ハラーム・モスクの方向)の間にあたる位置に場所を取るのがスンナです。その際、山を幾らか自分の右側にし、通行路が自分の正面に来るようにします。そして山の麓の岩の周辺に立ち、両手を上げ、畏れへりくだりつつアッラーのズィクル(念唱)やドゥアー(祈願)、イスティグファール(アッラーに罪の赦しを乞うこと)やタルビヤ、タハリール[16]などに専念します。その間乗り物に乗っていても、地面に座っていても、あるいは立っていても、歩っていても構いません。最も良いのは、本人が最も恐れ慎み、かつ専念することの出来る状態でしょう。

    ● こうしてクルアーンとスンナに記述されたドゥアー(祈願)や、それ以外の好みのドゥアー、イスティグファール(アッラーに罪の赦しを乞うこと)やタクビール[17]、タハリール[18]、偉大かつ荘厳なるアッラーへの讃美、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に対する祈りなどを数多く唱えます。またその際に偉大かつ荘厳なるアッラーに対してへりくだり、かつ願い事を即叶えて欲しいという熱意と執拗さをもって祈ります。そして太陽が沈むまで、この状態を継続します。

    ● もしラフマ山付近に赴くことが困難なようであれば、アラファのどこに留まって同様のことに専念しても問題はありません。アラファの台地は、ウラナ中心部を除いたその全てが立ち所なのですから。

    ● アラファに立つべき時間:

    アラファに留まるべき時間は、正午過ぎから日没までです。そしてアラファに滞在したと見なされる最終時刻はズー・アル=ヒッジャ月10日のファジュル前までであり、ゆえに9日の午前中、あるいは夜中にアラファに入っても問題はありません。但しスンナは正午過ぎにアラファ入りすることです。また夜中にアラファに足を踏み入れた者は、例えそれが一瞬だけであっても、それだけでアラファの行事に参加したと見なされます。また「アラファの地に立つ」ということは文字通り両の足で立ち通すことではなく、乗り物の上であれ、あるいは地面の上であれ、その地に滞在することを意味します。そして、昼間アラファに入っておきながら日没前にそこを立ち去るのは推奨された行為を放棄することですが、それでハッジが無効となったり、あるいは贖罪が義務付けられたりするわけではありません。

     ウルワ・ブン・ムダッリス(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、彼は預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がムズダリファ[19]でファジュル(夜明け前の礼拝)をしようとしているところにやって来ました…中略…それで預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は彼に言いました:「昼間であろうと夜であろうとアラファに立ち、それからこの礼拝を私たちと共に行い、またここを出発するまで私たちと共にここに滞在した者は、実にハッジを完遂し、その行を終えたのである。」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承[20]

    ● そして日没を迎えたら、タルビヤを唱えながらアラファからムズダリファへと一斉に向かいます。その際には静粛さを保ち、自らや乗り物でもって人々をかき分けたりしないようにし、空間的にそうすることが十分な余裕がある時だけ歩を早めます。そしてムズダリファに到着したら、1つのアザーン(礼拝時間に入ったことを告げる呼びかけ)と2つのイカーマ(礼拝開始の合図)でもって、3ラクアのマグリブ(本来は日没直後の礼拝)と2ラクアのイシャー(夜の礼拝)をジャムァ・タアヒール[21]の形で行います。そしてその晩はそこで宿営し、タハッジュド[22]とウィトル[23]を行います。

    ● ファジュルの時間帯に入ったら、その最初の時間帯のまだ周りが暗い内に、スンナの2ラクアをしてからファジュルの礼拝を行います。ファジュルを終えたら現在のムズダリファ・モスク周辺にあたる「アル=マシュアル・アル=ハラーム」へと赴き、キブラに向かって立ちながら、あるいは乗り物に乗りながら、あるいは座りながらアッラーをズィクル(念唱)し、タハミード[24]し、タハリール[25]し、タクビール[26]し、タルビヤを唱え、ドゥアー(祈願)します。そして崇高なるアッラーの次の御言葉が示すように、周囲が明るむ頃までこの状態でいます:-そしてあなた方がアラファから一斉にやって来たのなら、アル=マシュアル・アル=ハラームでアッラーをズィクル(念唱)するのだ。,(クルアーン2:198)

    ● もし「アル=マシュアル・アル=ハラーム」に赴くことが困難であってもムズダリファ全体が立ち所と見なされますから、その場でキブラの方角に向かってドゥアーするようにします。また正当な理由のある男女、及び弱者はその同伴者らと共に、月が見えなくなった時点で、あるいは夜の大半が経過した時点でムズダリファを去ってミナーへと向かうことが出来ます。そして彼らはミナーに到着したら、アル=アカバのジャムラ[27]に投石することが可能です。

    ● それ以外の巡礼者たちは、太陽が昇る前に静粛さをもって、ムズダリファからミナーへと向かいます。そしてムズダリファとミナーの中間地点にあるムハッスィル谷に差し掛かったら、石が転がる位の速度でもって歩を、あるいは乗り物を速めます。尚、ムズダリファやジャムラートへ向かう道中で7個の小石を拾っておくことを忘れてはなりません。道中ではタルビヤやタクビールを唱えつつ進みますが、アル=アカバのジャムラに投石する前にはタルビヤを唱えるのを止めます。

    ● ミナーから見て3本のジャムラの内最後のそれにあたるアル=アカバのジャムラに到着したら、既に太陽が昇っていることを条件に、7つの小石を投石します。その際ミナーが自分の右に、マッカが左側に来るようにして行います。そして投石の際には右手を上げて投げるようにし、逐一タクビールするようにします。

    ● ジャムラに投げる小石は、ヒヨコ豆やヘーゼルナッツの実程度の大きさであることがスンナです。大きな石や、石以外の何か‐サンダルや靴下、宝石や金属類など‐を投げてはなりません。また投石のみに関わらず、周りの人を押しのけたりして迷惑をかけてはいけません。

    ● そして投石が終わったら、タマットゥ(ウムラを終えてからハッジに移行する巡礼形式)とキラーン(ハッジとウムラを同時進行する巡礼形式)を行っている者は、犠牲を屠ります。もし自ら犠牲を屠る場合には、こう唱えます:「ビスミッラーヒ・ワッラーフ・アクバル、アッラーフンマ・タカッバル・ミンニー(アッラーの御名において。アッラーは偉大なり。アッラーよ、私のこの行いをお受け入れ下さい)。」

    アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は白地に黒の斑点がある角の生えた2頭の雄羊を、自らの手で屠りました。そして(その際には)アッラーの御名を唱え、タクビールし、足を首の片面に置き(押さえつけ)ました。(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[28]

    また犠牲の肉を自ら食し、そのスープを飲み、困窮者に施すことはスンナです。望むならば、その肉を携帯して持ち帰ることも可能です。

    ● 犠牲を屠った後は、男性ならば剃髪するか、頭髪を切るかしますが、剃髪の方がよりよいとされます。その際、頭部の右側から始めることがスンナです。一方女性は、指の第1関節ほどの長さだけ頭髪を切るだけに留めます。

     アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“アッラーよ、剃髪する者たちにご慈悲を。” (教友たちは)言いました:“アッラーの使徒よ、頭髪を切るだけに留める者たちには(アッラーのご慈悲を乞うてくれないのですか)?”(預言者は)言いました:“アッラーよ、剃髪する者たちにご慈悲を。”(教友たちは)言いました:“アッラーの使徒よ、頭髪を切るだけに留める者たちには(アッラーのご慈悲を乞うてくれないのですか)?”(預言者は)言いました:“アッラーよ、剃髪する者たちにご慈悲を。”(教友たちは)言いました:“アッラーの使徒よ、頭髪を切るだけに留める者たちには(アッラーのご慈悲を乞うてくれないのですか)?”(預言者は)言いました:“そして頭髪を切るだけに留める者たちにも(ご慈悲を垂れたまえ)。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[29]

    ● これまでに述べた事を全て行えば、イフラームの部分解禁となります。それで女性との性交渉を除く全てのイフラームにおける禁止事項‐通常の衣服の着用、香水の使用、男性が頭を覆うことなど‐はこの時点で解除されます。イフラームの部分解禁は、例え剃髪や頭髪を切ることや犠牲の屠殺を終えていなくても、アル=アカバのジャムラ[30]への投石さえ行えば達成されます。但し犠牲用の家畜を連れている場合は、それを屠らない限り、投石をしてもイフラームの部分解禁は成されません[31]

    ● イマームはイードの日‐ズー・アル=ヒッジャ月10日‐の午前中に、ハッジの行事について人々に教示すべく、ジャムラートで説教することがスンナです。それから巡礼者たちは衣服を身に纏い、香水をつけ、マッカへと向かいます。そしてハッジのタワーフ、つまり「タワーフ・アル=イファーダ[32]」あるいは「タワーフ・アッ=ズィヤーラ[33]」を行いますが、その際「タワーフ・アル=クドゥーム[34]」の最初の3周に行ったような早足はしません。

    ● それからタマットゥ(ウムラを終えてからハッジに移行する巡礼形式)をしている者であれば、サファーとマルワの丘のサアイ[35]に移行します。もし既にサアイを行っていればこの日に再びサアイする必要はありませんが、行った方がよいでしょう[36]。またキラーン(ハッジとウムラを同時進行する巡礼形式)あるいはイフラード(ハッジのみを行う巡礼形式)を行っている者でも、もしタワーフ・アル=クドゥームと一緒にサアイを済ませていなければ、ここでサアイをする必要があります。もし既にタワーフ・アル=クドゥームと共に済ませていれば‐それがより良いでしょう‐、タワーフ・アル=イファーダの後はサアイしません。こうして女性との性交渉を含む、イフラームの禁止事項全てが解禁となります。これを「イフラームの完全解禁」と呼びます。

    ● タワーフ・アル=イファーダの開始時期は:

    イードの日‐ズー・アル=ヒッジャ月10日目‐の夜[37]の大半が過ぎてから行うことが出来ますが、日中に行った方がより良いでしょう。その日以降に遅らせることも出来ますが、正当な理由がない限りズー・アル=ヒッジャ月中に行わなければなりません。

    ● それからミナーへと戻り、そこでズフル(正午過ぎの礼拝)を行います。そしてそこでイードの日の残りと、アイヤーム・アッ=タシュリーク[38]を過ごします。アイヤーム・アッ=タシュリークの13日目の滞在は義務ではありませんが、完遂した方が良いでしょう。また、もしアイヤーム・アッ=タシュリークにおいてミナーで夜の大半を過ごすことが困難なようなら、毎晩少しだけでも良いので夜の一部‐前半、中盤、後半に関わらず‐をミナーで過ごすようにします。またアイヤーム・アッ=タシュリークでは毎日5度の義務の礼拝を集団で、規定時間通りに行います。その際各礼拝は短縮[39]して行いますが、ジャムァ[40]はしません。礼拝はマスジド・アル=ハイフ[41]で行うことが望ましいのですが、それが困難なようであればミナーのいかなる場所で行っても問題はありません。アイヤーム・アッ=タシュリークの間は、毎日正午過ぎに3本のジャムラート[42]に投石します。

    ● ジャムラートには可能な限り、徒歩で赴くことがスンナです。ズー・アル=ヒッジャ月11日目は正午過ぎに最初のジャムラ(最小のもの)へと向かい、7つの小石を連続して投石します。投石の際には右腕を高く上げて投げ、石を投げる度に「アッラーフ・アクバル[43]」と唱えます。またキブラの方角(カアバ神殿の方角)に向かって行うことが望ましいとされます。そして投石が終了したら前方に少し進み出て、ジャムラからいくらか右側に立ち、キブラに向かって両手を上げつつ長いドゥアー(祈願)‐預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はクルアーンの雌牛章を読み終える位の長さのドゥアーをしたと伝えられています‐をします。

    ● それから中位のジャムラへと赴きます。そして同様に右腕を高く上げつつ7個の小石を投げ、石を投げる度に「アッラーフ・アクバル」と唱えます。それから前方左側へと進み出て、キブラに向かって両手を上げつつ長いドゥアー(祈願)‐最初の時よりは短めに‐をします。

    ● そしてアル=アカバのジャムラ‐最大のジャムラ‐へと移行します。マッカを自分の左手に、ミナーを右手にした位置から投石するのがスンナで、やはり7個の小石を同様の形で投げます。尚投石後のドゥアーはありません。こうして計21個の小石を投石したことになります。ミナーで宿泊出来ない正当な理由がある者は、2日分の投石を1日にまとめて、あるいはアイヤーム・アッ=タシュリークの最終日にまとめて行うことが可能です。また夜間に投石しても問題はありません。

    ● アイヤーム・アッ=タシュリークの2日目‐ズー・アル=ヒッジャ月12日目‐も初日と同様、正午過ぎに3本のジャムラートに投石します。

    ● ミナーを早く立ち去りたい場合は、アイヤーム・アッ=タシュリーク2日目の日没前にミナーを出発しなければなりません。もし遅れてしまったら、3日目の正午過ぎにもまた3本のジャムラートに投石する義務が生じます‐そしてミナーでアイヤーム・アッ=タシュリークの3日目を過ごすことはスンナです‐。女性は男性と同じようにこれらの行を遂行します。こうして巡礼者は、ハッジの諸行を終えたことになります。

    ● 預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が行ったハッジは、「別れのハッジ」ただ1度きりでした。彼はそこにおいてハッジの行を完遂し、人々をアッラーへといざない、また彼のウンマ(共同体)にも人々をアッラーへといざなう義務を課しました。そしてアラファにおいてイスラームの教えは完結し、イードの日には彼のウンマに「ここに居合わせた者は、ここにいない者に(私がここで伝えたことを)伝えるのだ」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[44])という宗教義務を課したのです。

    ● ハッジの完遂後、サラー(礼拝)やサウム(斎戒)など他のイバーダ(崇拝行為)を終えた時と同様に、服従行為の遂行を実現させて下さった偉大かつ荘厳なるアッラーをズィクル(念唱)し、また義務の遂行を容易にして下さったかれを讃え、かつ「ハッジの義務を果たしたんだぞ」などという思い上がりや、イバーダを完全な形で終えたなどという勘違いをすることなく、自分の至らなさに関してかれに罪の赦しを乞うことが求められます。至高のアッラーはこう仰られました:-そして諸行を完遂したら、あなた方が父親のことをズィクル(想念)するように、あるいはそれ以上の強さでもってアッラーをズィクルするのだ。,(クルアーン2:200)

    ● それからアイヤーム・アッ=タシュリークの3日目‐ズー・アル=ヒッジャ13日目‐の正午過ぎに例のように投石した後、ミナーを立ち去ります。その際もし可能ならアル=アブタフ[45]に立ち寄り、そこでズフルとアスルとマグリブとイシャーの礼拝を行い、夜の一部分を過ごすことがスンナです。

    ● そしてマッカへと向かい、マッカの居住民と月経中あるいは産後の出血のある女性以外の者はタワーフ・アル=ワダーァ[46]を行います。タワーフ・アル=ワダーァを終えたら、各自マッカを立ち去ります。その際に、ザムザムの水[47]を携帯して持って行くのもよいでしょう。

    イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「“人々は最後の任務として、カアバ神殿(のタワーフ)を命じられた。但し月経中の女性にはそれが免除されている。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[48]

    [1] 訳者注:「タルウィヤ」とは元来、水の供給を意味します。というのもヒジュラ暦8日に赴くことになっているミナーには本来水がなく、それゆえにこの日は水をミナーに運ぶことになっていたからです。

    [2] 訳者注:ヒジュラ暦12月のこと。

    [3] 訳者注:心身の清浄化を意図した全身の洗浄。

    [4] 訳者注:詳しくは「③イフラーム」の項を参照のこと。

    [5] 訳者注:預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の示した手法や道のこと。ムスリムは可能な限り、彼のスンナを踏襲するべきであるとされています。

    [6] 訳者注:「ジャムラ」とはマッカ近郊の巡礼者宿営地「ミナー」にある、大小中3本の投石塔。ヒジュラ暦12月10日に最大の柱「アル=アカバ」に7個、そして11、12、13日には各柱に7個ずつの小石を投石することになっています。

    [7] 訳者注:詳しくは「③イフラーム」の項を参照のこと。

    [8] 訳者注:マッカ東部に位置する谷間。ズー・アル=ヒッジャ月の8日、11日、12日、13日には実質上ハッジ巡礼者の宿営地となります。

    [9] 訳者注:つまり4ラクアのサラーを2ラクアに短縮すること。それ以外の数のラクアは短縮されず、そのまま行われます。

    [10] 訳者注:つまりズフルとアスル、あるいはマグリブとイシャーをまとめて連続した形では行いません。

    [11] 訳者注:「アラファ」とはヒジュラ暦12月の9日目、ハッジの巡礼者たちが赴くことを義務付けられているマッカ近郊の台地。この日この地でアッラーを念じ、タルビヤを唱え、祈り、犯した罪の赦しを乞う事は、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の「ハッジはアラファである。」という言葉が示す通り、ハッジのメインイベント的意味合いを持っています。

    [12] 訳者注:アッラーこそが最も偉大であり、それ以外のものは全て些少な存在であることを唱念するための言葉。「アッラーフ・アクバル」という言葉に代表されます。

    [13] 訳者注:ミナーから見てアラファの手前に位置する場所の名で、アラファの中には入りません。

    [14] 訳者注:礼拝を呼びかける一連の文句のこと。「アッラーフ アクバル(2回)、アッラーフ アクバル(2回)、アシュハドゥ アッラー イラーハ イッラッラー(2回)、 アシュハドゥ アンナ ムハンマダッラスールッラー(2回)、ハイヤー アラッサラー(2回)、ハイヤー アラルファラーハ(2回)、アッラーフ アクバル(2回)、ラー イラーハ イッラッラー。」

    [15] 訳者注:アスルをズフルの時間帯に行う、「ジャムァ・タクディーム(時間帯が互いに隣接した2つの礼拝を、順番が早い方の礼拝の時間帯にまとめて行うこと)」の形となります。

    [16] 訳者注:アッラーこそが唯一の主であり、真に崇拝すべき対象であることを唱念するための言葉。「ラー・イラーハ・イッラッラー」という言葉に代表されます。

    [17] 訳者注:アッラーこそが最も偉大であり、それ以外のものは全て些少な存在であることを唱念するための言葉。「アッラーフ・アクバル」という言葉に代表されます。

    [18] 訳者注:アッラーこそが唯一の主であり、真に崇拝すべき対象であることを唱念するための言葉。「ラー・イラーハ・イッラッラー」という言葉に代表されます。

    [19] 訳者注:「ムズダリファ」とは、ヒジュラ暦12月9日の夜を過ごすことになっているマッカ近郊の場所。

    [20] 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(1950)、スナン・アッ=ティルミズィー(891)。文章はアッ=ティルミズィーのもの。

    [21] 訳者注:時間帯が互いに隣接した2つの礼拝を、順番が遅い方の礼拝の時間帯にまとめて行うこと。

    [22] 訳者注:深夜に任意で行う礼拝。普通は一旦寝た後に、そのために深夜に起き上がってする礼拝のことを言います。一方キヤーム・アッ=ライル(夜中にする任意のサラー)はもっと広い意味で用いられ、夜全般に渡って行われる任意の礼拝全てを指します。

    [23] 訳者注:「ウィトル」とは、イシャー後からファジュル前までに行うのがスンナ・ムアッカダ(義務ではないが非常に推奨された行為)とされている、奇数回の形式をとる礼拝のこと。

    [24] 訳者注:アッラーにこそ全ての賛美があると唱念すること。「アル=ハムドリッラー」という言葉に代表されます。

    [25] 訳者注:アッラーこそが唯一の主であり、真に崇拝すべき対象であることを唱念するための言葉。「ラー・イラーハ・イッラッラー」という言葉に代表されます。

    [26] 訳者注:アッラーこそが最も偉大であり、それ以外のものは全て些少な存在であることを唱念するための言葉。「アッラーフ・アクバル」という言葉に代表されます。

    [27] 訳者注:「ジャムラ」とはマッカ近郊の巡礼者宿営地「ミナー」にある、大小中3本の投石塔。ヒジュラ暦12月10日に最大の柱「アル=アカバ」に7個、そして11、12、13日には各柱に7個ずつの小石を投石することになっています。

    [28] サヒーフ・アル=ブハーリー(5558)、サヒーフ・ムスリム(1966)。文章はムスリムのもの。

    [29] サヒーフ・アル=ブハーリー(1728)、サヒーフ・ムスリム(1302)。文章はムスリムのもの。

    [30] 訳者注:「ジャムラ」とはマッカ近郊の巡礼者宿営地「ミナー」にある、大小中3本の投石塔。ヒジュラ暦12月10日に最大の柱「アル=アカバ」に7個、そして11、12、13日には各柱に7個ずつの小石を投石することになっています。

    [31] 訳者注:この見解はマーリク学派と1部のハンバリー学派のものです。ハナフィー学派とシャーフィイー学派、ハンバリー学派の主流では①アル=アカバへの投石、②散髪あるいは剃髪、③タワーフ・アル=イファーダの3つの内の2つを終了した時点で(ハッジのサアイを行っていることを条件に)、イフラームの部分解禁は達成されます。

    [32] 訳者注:「イファーダ」というアラビア語には「押し寄せる」という意味がありますが、これは巡礼者がミナーからマッカへと、このタワーフのために一斉に押し寄せて来ることにその名称の由来があると言われます。

    [33] 訳者注:「ズィヤーラ」とはアラビア語で「訪問」という意味ですが、ここでは巡礼者がこのタワーフゆえにミナーからマッカへと訪れることを表していると言われます。

    [34] 訳者注:キラーン、あるいはイフラードのハッジをする者がマッカに到着した際に行うタワーフのこと。根幹的行為でも義務行為でもなく、スンナです。

    [35] 訳者注:「サアイ」とは、「サファーとマルワの丘」の間を「サファーの丘」から始めて3往復半することで、ハッジとウムラの根幹的行為の内の1つです。

    [36] 訳者注:これはハンバリー学派の一部とイブン・タイミーヤの見解であり、他の4大法学派の多勢の見解では、タマットゥを行う者はウムラのためのサアイとハッジのためのサアイを行わなければならないとしています。

    [37] 訳者注:ヒジュラ暦は1日の始まりが日没と共に始まりますので、ここではアラファに立った後、ムズダリファで過ごす日の夜のことを示しています。西暦的感覚から言うと、イードの日の前の晩のことです。

    [38] 訳者注:ヒジュラ暦12月の11,12,13日の3日間のこと。

    [39] 訳者注:4ラクアの礼拝を2ラクアに短縮するということです。ゆえにマグリブとファジュルの礼拝は通常通りに行います。

    [40] 訳者注:時間帯が互いに隣接した2つの礼拝を、どちらか一方の礼拝の時間帯にまとめて行うこと。

    [41] 訳者注:預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安がありますよう)がミナー滞在中に礼拝を行ったモスクで、彼以前にも70名の預言者がそこで礼拝をしたという伝承が残っています。ミナーの南部、最小のジャムラ近くに位置しています。

    [42] 訳者注:マッカ近郊の巡礼者宿営地「ミナー」にある、大小中3本の投石塔。ヒジュラ暦12月10日に最大の柱に7個、そして11、12、13日には各柱に7個ずつの小石を投石することになっています。

    [43] 訳者注:アッラーこそが最も偉大であり、それ以外のものは全て些少な存在であることを唱念するための言葉。

    [44] サヒーフ・アル=ブハーリー(67)、サヒーフ・ムスリム(1679)。文章はアル=ブハーリーのもの。

    [45] 訳者注:マッカとミナーの間にある場所の名前です。

    [46] 訳者注:巡礼を終えてマッカを立ち去る直前に行うタワーフのことです。ハッジにける義務行為の1つに数えられます。

    [47] 訳者注:カアバ神殿東方約20mの地点に、その泉があります。イブラーヒームの女奴隷であったハージャルが不毛の地であったマッカに置き去りにされた時、乳飲み子のイスマーイールを抱えてサファーとマルワの間を糧を求めて奔走した際、大天使ジブリールが舞い降りてその羽で地面を打ち、ザムザムの泉を沸き出たせたと伝えられています。

    [48] サヒーフ・アル=ブハーリー(1755)、サヒーフ・ムスリム(1328)。

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