الوصف
كتاب مترجم إلى اللغة اليابانية، عبارة عن نبذة موجزة عن رسول الإسلام محمد صلى الله عليه وسلم تحتوى على، اسمه ونسبه وبلده وزواجه، ورسالته، والذي دعا إليه، وآيات نبوته، وشريعته، وموقف خصومه منه.
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慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において
イスラームの使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)の名前、家系、故郷、結婚、人々を招いたメッセージ、預言者性の証、シャリーア(イスラーム法)、敵対者が彼をどのように見ていたか、それらの一部を簡潔に紹介するものです。
イスラームの使徒は、イブラーヒームの息子イスマーイールの子孫であるムハンマド・ビン・アブドゥッラー・ビン・アブドゥルムッタリブ・ビン・ハーシムです。(ビンとは息子を意味する。ムハンマド・ビン・アブドゥッラーはアブドゥッラーの息子ムハンマドの意。)アッラーの預言者であるイブラーヒームは、妻であるハージャルと赤ん坊であった息子イスマーイールと共にシャームからマッカへとやって来ました。妻と息子をアッラーの命令によりマッカに住まわせました。息子が成長して若者となった時、イブラーヒームはマッカへとやって来ました。そして、息子であるイスマーイールと共に神聖なる館カアバを建設しました。人々はその周りに集まるようになり、マッカは万有の主であるアッラーを崇拝する者達、ハッジ(巡礼)を望む者達の目的地となりました。そうして、イブラーヒームの教えのもと、人々は幾世代にも渡りアッラーへの崇拝と唯一神信仰を継続しました。その後、逸脱が起きました。当時のアラビア半島の状況は周りの国々と同様で、偶像崇拝、女児の生き埋め、女性の抑圧、虚偽の証言、飲酒、姦通、孤児の財産の横領、利子を取ることなどが横行していました。このような地、環境の中でイブラーヒームの息子イスマーイールの子孫であるイスラームの使徒ムハンマド・ビン・アブドゥッラーは生まれました(西暦571年)。父親は彼の誕生前に亡くなっていて、母親は彼が六歳の時に亡くなりました。おじであるアブーターリブが扶養しました。孤児として貧しく育ち、自分で働いて稼ぎ生活していました。
25歳でハディージャ・ビント・フワイリド(アッラーのご満悦がありますように)という名のマッカの婦人と結婚し、4人の娘と2人の息子を授かりました。息子たちは幼い内に亡くなりました。彼は妻や家族に対して最大限の愛情と優しさで接していました。なので、妻のハディージャは彼をとても愛し、彼も彼女をとても愛していました。彼女が亡くなった数年後も忘れませんでした。彼女への愛情と善の気持ちを示すものとして羊を屠り、その肉を彼女の友人たちに寛大に配ったりしたのでした。
使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)は非常に優れた性格の持ち主でした。人々は信頼のおける誠実な人物と名づけていたのです。徳の高い行いでは人々と協同していましたが、偶像崇拝などに関しては嫌悪し関わらなかったのです。
マッカにおいて40歳になった時、アッラーは彼を使徒として選びました。天使ジブリールが最初に啓示されるクルアーンを携えてやって来ました。それは次の至高なるアッラーのお言葉です。(اقْرَأْ بِاسْمِ رَبِّكَ الَّذِي خَلَقَ (1) (預言者よ、)創造をされた、あなたの主の御名において(、啓示されたクルアーンを)読め。خَلَقَ الْإِنسَانَ مِنْ عَلَقٍ (2) かれは人間を、一塊の凝血からお創りになった。اقْرَأْ وَرَبُّكَ الْأَكْرَمُ (3) (預言者よ、クルアーンを)読め。あなたの主は、最も貴いお方。الَّذِي عَلَّمَ بِالْقَلَمِ (4) 筆(記)を教えて下さったお方。عَلَّمَ الْإِنسَانَ مَا لَمْ يَعْلَمْ (5)) 人間に、彼が知らなかったことを教えて下さった(お方)。[凝血章:1-5]激しく動揺した彼は、妻ハディージャのもとへと行き、起きた出来事を話しました。彼女は彼を落ち着かせ、彼女のいとこであるワラカ・ビン・ナウファル‐キリスト教徒になりトーラーと福音を読んでいた‐のもとへと連れて行きました。彼女が彼に言いました。:おじの息子よ、あなたの兄弟の息子の話を聞いてください。ワラカは:兄弟の息子よ、何を見たのですか?ムハンマド(祝福と平安あれ)は見たことを伝えました。ワラカは言いました。(この天使はアッラーがムーサーに下した者です。人々があなたを追放する時、私が生きており若者であればどんなに良いことか。ムハンマド(祝福と平安あれ)は言いました。≪彼らは私を追放するのですか≫(ワラカ)は言いました。はい、あなたがもたらしたようなもので敵対されなかった者はいません。その時に私が生きていれば、あなたを激しく援助するでしょう)
マッカにおいて使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)への啓示は継続しました。万有の主のもとから、天使ジブリールがクルアーンとそのメッセージの詳細と共に下ってきたのです。
使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)は、人々をイスラームへと招き続けました。人々は背き敵対し、メッセージの伝達をやめる代わりに権力と富を与えることを提案しました。彼はそれら全てを断りました。人々は過去に権力者達が使徒たちに言ったように:魔術師、嘘つき、捏造者などと言い、彼を苦しめ、身体的な危害も加え、彼に従う人々も迫害したのでした。使徒(祝福と平安あれ)はマッカにおいてアッラーへと招き続けました。ハッジ(巡礼)の時期、アラブの人々が市場に集まる時期などを狙って人々に会い、イスラームを提示したのです。この世の富や地位などは求めず、剣による脅迫も恐れませんでした。彼には王権も勢力もありませんでした。宣教当初から、クルアーンと同様の物を持ってくるよう挑戦していました。敵対者に対するその挑戦は続きました。彼の宣教に応えて、信じる人達もいました。マッカにおいて、一夜にしてアクサーモスクへと到達したイスラー(夜の旅)という偉大な徴を与えられました。それから、天へと引き上げられました。イスラーム教徒とキリスト教徒のもとでも述べられているように、アッラーはイーサー(イエス)を天上へと上げたのです。預言者ムハンマド(祝福と平安あれ)は、天上にて礼拝の命令を与えられました。それが今日イスラーム教徒が行っている一日五回の礼拝なのです。マッカにおいても別の偉大な徴がありました。多神教徒達も見ている中で月が割れたことです。
クライシュ族の不信仰者達は、妨害のために様々な手を尽くしました。謀略を企て、人々を遠ざけ、悪意をもってして(預言者である)証拠を求めたり、ユダヤ教徒達の助けを借りて議論をして人々が彼に従うことを妨害したのです。
信仰者達に対するクライシュ族の不信仰者達の迫害が続いた後、預言者(祝福と平安あれ)はエチオピアへの移住を許可しました。預言者(祝福と平安あれ)は信仰者達に言いました。「その地には、誰もが不正を被ることのない公正な王がいる。」当時、王はキリスト教徒でした。ふたつの集団がエチオピアへと移住しました。エチオピアへと移住後、ナジャーシー王に預言者ムハンマド(祝福と平安あれ)がもたらした宗教を提示すると、信仰して言いました。「アッラーに誓って、この宗教はムーサー(モーゼ)のもたらしたものと同一のものである。」そして、預言者ムハンマド(祝福と平安あれ)と信仰者達に対するクライシュ族の不信仰者達の弾圧は続きました。
多くの人々がマッカの外からやって来る時期、マディーナから来た一団がイスラームを信仰し、預言者ムハンマド(祝福と平安あれ)に対して、彼らの地へと移住したときには、イスラームに基づき援助するという忠誠誓約をしました。その地は、当時ヤスリブという名でした。そして、預言者ムハンマド(祝福と平安あれ)は、マッカに残っていた信仰者達にマディーナへと移住することを許可しました。こうして、彼らは移住し、マディーナ全ての家庭がイスラームに入信したというほどイスラームは広まりました。
預言者ムハンマド(祝福と平安あれ)がマッカで13年間、アッラーへと人々を招いた後、マディーナへと移住することをアッラーは許可しました。預言者(祝福と平安あれ)はマディーナへと移住し、アッラーへと人々を招き続けました。マディーナの地でイスラームの様々な規定の啓示が段階的に下り続けました。イスラームの信仰へと呼びかけるべく、様々な部族や王へとメッセージを携えた使者を送りました。ローマ王、ペルシャ王、エジプト王などにも送られました。
預言者ムハンマド(祝福と平安あれ)の息子イブラーヒームが亡くなった日、マディーナでは日食が起きて人々は怖がりました。人々は「イブラーヒームの死により日食が起きた。」と言いました。それに対して預言者ムハンマド(祝福と平安あれ)は言いました。「太陽と月は誰かの生死によって隠れるわけではない。それらはアッラーの徴の一部であり、それによってしもべを恐れさせるのだ。」もし預言者(祝福と平安あれ)が嘘つき、ホラ吹きであったなら人々を恐れさせるために利用してすぐに言ったでしょう。「日食が起きたのは息子イブラーヒームの死が原因だ。では、私を嘘つき呼ばわりする者達はどうなるのか。」と。
主は、使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)を完璧な性格によって美化されました。そして次のように描写されました。(وَإِنَّكَ لَعَلَىٰ خُلُقٍ عَظِيمٍ) また本当に(使徒よ)、あなたこそは、この上ない(よき)品性を備えている。[筆章:4]誠実さ、純粋さ、勇気、公正さ、敵対者であろうと約束を守ること、寛大さなどの全ての良き品性を備えた人格者であり、貧困者・困窮者・未亡人・困苦者に対する施しを好み、彼らが導かれることに努力し、慈しみ、謙虚でありました。他の地から使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)を探してやって来た人も、人々の中の誰が使徒か分からず「あなた方の誰がムハンマドですか?」と言ったものでした。
彼の人生は、敵味方、他人、親族、年長者、年少者、男女、動物、全ての存在との関わりにおいて完璧で素晴らしいものでした。
アッラーが宗教(イスラーム)を完成させ、使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)がそのメッセージを完全に伝達した後、63歳で召されました。そのうちの40年間は預言者として遣わされる以前で、23年間は預言者、使徒としてのものでした。遺体はマディーナで埋葬されました。生前に乗っていた白いラバと、旅行者のための施しとした土地を除いて、財産も遺産も残しませんでした。
信じて従いイスラームへと入信した人々は大勢いました。彼の死の約三ヵ月前、別れの巡礼において10万を超える教友が共に巡礼に参加しました。これがイスラームとしての宗教が守られたこと、広まった事の秘密のひとつでしょう。使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)がイスラームの価値観、基礎によって育成した教友達は非常に優れた人物達で、公正さ、禁欲さ、敬虔さ、誠実さ、努力といった点で類を見ない人々でした。
そして、教友達(彼ら全てにアッラーのご満悦あれ)の中でも、信仰、知識、行い、誠実さ、信心、努力、勇気、寛大さにおいて最も優れていたのがアブーバクルであり、ウマル・ビン・ハッターブであり、ウスマーン・ビン・アッファーンであり、アリー・ビン・アブーターリブ(彼らにアッラーのご満悦がありますように)でした。彼らは初期に信仰した人達であり、使徒亡き後にイスラームの旗を掲げた後継者達でした。しかし、彼らに預言者のような特質はなく、他の教友達にはない特別な決まりのようなものはありませんでした。
アッラーはクルアーンとスンナ(預言者の言動)、伝記を彼が話した言語で保存されました。歴史上このような正確さで伝記が保存、記録されている人物はいません。彼がどのように寝ていたか、どのように飲食し、どのように笑っていたかまで記録されているのです。家庭の中でどのように家族と接していたのでしょうか?全ての行動が伝記に記録保持されています。彼は使徒、人間であって創造主の特性であるようなものは一切備えておらず、自らを益したり害したりする力を持ち合わせていません。
無知、不信仰、多神崇拝が地上を埋め尽くした後にアッラーはムハンマド(祝福と平安あれ)を遣わされました。当時、地上にアッラーのみを崇拝し何も同一に崇めない者は啓典の民の一部を除いては存在しませんでした。アッラーは使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)を諸預言者、諸使徒の封緘として、全ての宗教の上に君臨させるため、人々を無知と不信仰と偶像崇拝の闇から信仰と唯一神崇拝の光へと解放するために、導きと真理の宗教として全世界へと遣わされました。彼のメッセージは以前の諸預言者(祝福と平安あれ)のメッセージ全てを完成させるものです。
ヌーフ、イブラーヒーム、ムーサー、スライマーン、ダーウード、イーサーら諸預言者、諸使徒が人々に呼びかけた信仰へと呼びかけました。それはつまり、主は創造主、扶養者、生かし死なせ、全ての所有者であるアッラーのみであり、諸事を司り、哀れみ深く慈しまれるお方で、私達の目に見えるもの見えないもの全ての存在の創造者で、アッラー以外の全ては被造物であるというものです。
同様に、アッラーのみの崇拝し、他の何も崇拝しないよう呼びかけました。そして、アッラーは唯一であり、崇拝、大権、創造、支配において同位者はないことを明らかにしました。そして、生みも生まれもせず、同等な存在も似たような存在もなく、被造物に宿ることも、被造物の形となって現れることもないことを明らかにしたのです。
そして、天啓の諸啓典の信仰へと呼びかけました。イブラーヒームやムーサーの書、トーラー、ザブール、インジール(福音)などです。また、諸使徒全てを信じること、それらのひとりでも否定することは全ての使徒を否定することに等しいとみなしたのです。
そして、アッラーの慈悲による吉報を全ての人々に伝えました。アッラーこそがこの世での必要を満たす存在で、アッラーこそ慈悲深く哀れみ深いお方で、人々全てが墓から呼び起こされる復活の日にアッラーのみが人々を清算されるのです。信仰者の善き行いには10倍の報いを、悪い行いには同等に報いられます。信仰者には至福の住処があの世にあります。信仰を否定し悪い行いを行った者は、この世とあの世で報いを受けるのです。
使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)は、そのメッセージにおいて自らの部族、土地、自分自身を神聖化することはありませんでした。むしろクルアーンにおいてはヌーフ、イブラーヒーム、ムーサー、イーサー(彼らに祝福と平安あれ)などの諸預言者の名前のほうが多く述べられます。使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)の母親や妻たちの名前はクルアーンに出てきませんが、ムーサーの母親については何度か出てきます。マルヤム(平安あれ)の名は35回出てきます。
使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)は、全ての正常な品性が受け入れないような物事、天性と理性、イスラームの規則に反するようなことから守られています。なぜなら、諸預言者(祝福と平安あれ)はアッラーに関して伝えることにおいて無謬の存在であり、アッラーの命令を人々に伝達することが課されているからです。諸預言者には主性、神性といったアッラーの特質が一切ないのは他の人間と同様です。しかし、アッラーは彼らに啓示を下すのです。
使徒(祝福と平安あれ)のメッセージが彼の存命時から今日に至るまで存在し続け、10億人をも超えるイスラーム教徒が彼の教えに従い、礼拝、施し、断食、巡礼等の宗教的義務を変更、歪曲なしに実践し続けているという事実は、使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)のメッセージがアッラーからの啓示であることを示す最大の証拠のひとつと言えるでしょう。
アッラーは預言者であることを示す様々な証拠によって彼らの預言者性を支持します。そして、メッセージの真実性を示す証拠、徴を確証されます。全ての預言者には人が信じるのに値する様々な徴を与えられました。そして、諸預言者が与えられた徴の中で最も偉大なものは私達の預言者ムハンマド(祝福と平安あれ)に与えられたクルアーンです。それは最後の日に至るまで残り続ける徴です。同様に様々な奇跡によって支持されました。その一部に
夜の旅と昇天、月が割れたこと、人々が干ばつによって絶望した時、彼の祈りにより何度も雨が降った事。
僅かな食料と水が増えて多くの人々がそこから飲食したこと。
誰も知らない過去の出来事をアッラーからの知らせにより伝えたこと。洞窟の人々の話や諸預言者(祝福と平安あれ)と人々との出来事など。
後に実際に起きた未来の出来事をアッラーからの知らせにより伝えたこと。シャーム地方にいる者達まで見たヒジャーズの地からの火や、人々が競って高い建物を建てることなど。
アッラーが彼を人々から守り保護すること。
教友達に約束したことが実現したこと。例として(ペルシャとローマを征服し、そこにある財宝をアッラーの道に費やすだろう。)
天使達によってアッラーが彼を援助したこと。
ムーサー、ダーウード、スライマーン、イーサーなどイスラエルの子孫の諸預言者(祝福と平安あれ)が、使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)の吉報を人々に伝えていたこと。
正常な思考であれば受け入れる知的証明や様々な喩え。
これらの徴、証明、知的比喩はクルアーンやスンナ(預言者ムハンマドの言行録)に散りばめられています。それは、非常に多くあり、望む者はクルアーンや預言者伝からそれを見つけることができるでしょう。そこにはこれらの徴に関する確信的な情報があります。
これらの奇跡がもし実際に起きていないものであれば、アラビア半島にいた敵対者であるクライシュ族の不信仰者達やユダヤ教徒、キリスト教徒達にとっては、彼を嘘つきと言い、人々に警告するために好都合なものであったでしょう。
クルアーンは、アッラーが使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)に啓示した書であり、万有の主のお言葉です。同様のもの、あるいは同様の一章でももたらすようジンと人間にアッラーが挑戦されたものであり、その挑戦は今日に至るまで続きます。クルアーンは、大勢の人々が困惑する多くの重要な質問に回答を与えています。クルアーンは今日に至るまで啓示されたアラビア語のまま、一文字も減らされることなく保存されてきました。それは印刷され配布されています。偉大な奇跡の書であり、人々のもとにある最も偉大な書であり、読まれるべきものです。読む機会を逃し信仰しなかった人というのは全ての善を逃したに等しいのです。使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)の言動や生涯における出来事も保存され、信頼のおける伝承者たちの伝承経路によって伝えられています。それは、使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)自身が話したアラビア語で出版されており、彼が今もなお私達の間で生きているかのようです。多くの諸言語にも翻訳されています。クルアーンと使徒のスンナはイスラームの法規則の法源なのです。
使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)がもたらしたシャリーアはイスラームのシャリーアです。それは以前のシャリーア全ての完成形であり、以前の諸預言者(祝福と平安あれ)のシャリーアと違いはあれど、基礎原則は同じです。
それは完璧なシャリーアで、全ての場所、時代に通用するものです。そこには、人々の現世的、宗教的利益があり、礼拝や施しなど、万有の主から人々に課されている全ての崇拝行為を含むものです。そして、この世あの世に関わる必要な物事、互いにどのように接するか、戦争、政治、社会、経済、売買に関する事柄なども述べられています。
このシャリーアは人々の宗教、生命、名誉、財産、理性、子孫を保護するものです。全ての善徳を包括するもので、全ての悪や下劣な物事に対して警告するものです。人間尊重、中庸、公正、誠実、清潔、尽力、愛情、人々に対して善を好むこと、命を大切にすること、平和へと呼びかけます。正当な理由なく人々を恐れ怖がらせることを禁じています。使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)は全ての形の不正、腐敗と闘い、俗世から離れきって禁欲したりすること、迷信に反対していました。
使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)は、アッラーが男女ともに人間に栄誉を与えられたことを明らかにしました。そして、完全な権利を保障し、自らの行動、振る舞い、選択に対して責任を与えました。自分自身、他人に与える害に対して責任を負うのです。男女は信仰、責任、報い、報奨において同等であり、このシャリーアにおいて母、妻、娘、姉妹として女性に特別な配慮が与えられているのです。
使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)のもたらしたシャリーアは、理性の保護を命じ、酒などの理性を害する全ての物事を禁じています。イスラームにおいて宗教とは、理性のために正しい道を照らす光で、それは主を確証と知識によって崇めるためのものです。イスラームは理性の価値を重んじ責任が生じるための源とし、偶像崇拝や迷信という鎖から解き放ったのです。
イスラームのシャリーアは正しい知識を尊重し、私利私欲によるものでない知識探求を推奨しています。そして、自らと世界に関して思考するよう呼びかけています。正しい知的検証結果と使徒(祝福と平安あれ)のもたらすものは対立するものではないのです。
シャリーアにおいては、特定の人種を特別視したり、ある民族を他の民族に対して優れていると見なしたりしません。全ての人間がシャリーアの決まりの前では平等です。なぜなら、人々は出自において同一であり、ある人種や民族が他の人種や民族に優るという事はないのです。優劣は敬神の念においてのみという事、そして、全ての赤子は天性を備えて産まれてくるもので、罪人として罪を背負って産まれてくること、他人の罪を背負わされることはないと使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)は伝えました。
イスラームのシャリーアにおいてはタウバ(悔悟)というものがあります。それは、人が主に帰り、罪を放棄することです。イスラームに入信することで以前の罪が赦されるのと同様に、タウバも罪滅ぼしになります。なので、誰かの前で罪を告白する必要もなく、人はアッラーとの直接の関係を持ち、誰かがアッラーとの間の仲介人となる必要もないのです。イスラームにおいて、人を神格化したり、アッラーと主性、神性においての共有者とすることは禁じられています。
使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)がもたらしたシャリーアは、以前のシャリーアを更新するものです。なぜなら、ムハンマド(祝福と平安あれ)がアッラーのもとからもたらしたイスラームのシャリーアとは、復活の日に至るまでの最後のシャリーアだからです。それは全世界のためのものです。それゆえに、以前のシャリーアがそれぞれ互いに更新したように、このイスラームのシャリーアが以前のシャリーア全てを更新したのです。アッラーはイスラーム以外のシャリーアは受け入れられず、使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)がもたらしたイスラームの宗教以外受け入れられません。イスラーム以外を宗教として受け入れた者を認められません。このシャリーアにおける規定の詳細を知るためには、イスラームを紹介する信頼のおける著書において求められることをおすすめします。
イスラームのシャリーアの目的は、ー神からのメッセージ全てがそうであるようにー真実の宗教が人々によって高められ、万有の主アッラーの純粋なしもべとなり、人、物質、迷信などの隷属から人を解放することです。
イスラームのシャリーアは全ての時代と場所に有効なものです。人間にとっての正しい利益に相反するものはありません。なぜなら、それは人々の必要を知るアッラーから下されたものであり、人々は正しいシャリーアを必要としているのです。その規定は互いに矛盾することなく、人類を益するものです。人間の制定によるものではないアッラーからのもので、人間を善と正道へと導き、それに裁定を求めれば諸事は正しく機能し、互いに不正を被ることはありません。
全ての預言者には敵対者がいて、伝教の道に立ちはだかり、人々を信仰から遠ざけようとするのです。使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)には生前にも死後にも多くの敵対者がいました。アッラーは彼らに対して使徒を援助しました。彼が預言者であることに関して各世代の大勢の敵対者の証言があります。そして、彼が以前の預言者達と同様のものをもたらしたこと、そして、彼らは使徒が正しいことを知っているにもかかわらず、権力の維持のためや社会の反発、富を失うことなどを恐れ信仰を受け入れないのです。
そして全創造物の主アッラーに、称賛あれ
著者 ムハンマド・ビン・アブドゥッラー・スハイム博士
イスラーム学科神学教授(前)
サウード国王大学教育学部
サウジアラビア王国リヤード市
イスラームの使徒ムハンマド(彼の上に祝福と平安がありますように)